「愛」や「正義」という表現より「人権」という表現の方が落ち着くし、「頑張り」や「やる気」より「方法」という言葉を使う人を信頼したくなる。前者の表現の方が人間的な暖かみを感じそうだが、後者の表現に静かな暖かさを感じる。
「愛」という言葉で正当化される行為や、排他的で揺るがない「正義」こそ恐ろしいと感じるし、いくらトップが変わったところでトップを決める「方法」を変えなければ何も変わらないのは、政治から教われることの一つかもしれない。
「愛」も「正義」も「頑張り」も「やる気」も、「自分はこんなにやってるんです!」「自分は正しいことをやってるんだよ!?」と主張しポーズを作り自己保身するための道具で、その点「人権」や「方法」は、本当に相手に寄り添い状況を変えようという慎み深く強かな姿勢に思える。
後者のような言葉を使う人として真っ先に思い浮かぶのが、評論家・編集者の荻上チキさんだ。
荻上さんがパーソナリティを務める「荻上チキsession」は、好んで聴いているポッドキャストの一つで、ニュース番組として一番信頼している。使う言葉は非常にフラットで冷静だが、なんとなく静かな優しさを感じていた。先日から荻上さんの著書を読んでいて、ああ本当に人間の痛みが分かり、優しい人なんだなと思った。読んでいるのは『みらいめがね それでは息がつまるので』『僕らはいつまで「ダメ出し社会」を続けるのか 絶望から抜け出す「ポジ出し」の思想』と、あとはyomyomに掲載されていたポリアモリー・レポート。
気付けば新年であり、新年といえばブックオフのウルトラセールである。
国語辞典を買った。三省堂の例解新国語辞典にした。
「惨憺たる」を引いていたら同ページに「サンドイッチマン」という見出しを発見した。
サンドイッチマン:広告の板をからだの前後にさげて街頭を歩いて宣伝する人。
『例解 新国語辞典』
あの人に名前がついていること、サンドイッチマンと表現されること、辞書に載っていること、それぞれに驚いた。
今日の猫
