Twitter上の負のコミュニケーションについて

Twitter上の議論について。
引用リツイートは「引用して自分の言いたいことを勝手に呟く」ためにたびたび使われる。
そうなると問いが乱立し論点がズレまくるのは自然なことだし、収束することなくみんながヤジ飛ばして終わるっていうどこにも向かわないコミュニケーションになりがちで、そこに気楽なコミュニケーションとしての良さは見出すことはできるが、そういう負の特性は理解すべきだと思う。

健全な議論もしくは対話を創出するためには、そういった負の特性の理解という大前提に加えて、「問いが整理されること」が必要な気がする。

株式会社MIMIGURIの代表取締役で、東京大学大学院 情報学環 特任助教である安斎勇樹さんらは著書、『問いのデザイン』において、「問いによってコミュニケーションの種類が変わる」ことを指摘している。
例えば
「最近面白かった本は?」という問いからは「雑談」(気軽な挨拶や情報のやり取りによって成立し、関係構築が目的の場合もあれば、目的そのものがない場合もある)が引き出され、
「人気のない本は本屋に置かないべきだろうか?」→討論(お互いの意見を述べ合い、どちらの意見が正しいかを決める)
「中学生のうちに読んでおくべき本とは?」→議論(全員で協力しながら納得いのいく答えを導くことがメイン)
「良い本とは何か?」→対話(自由な雰囲気の中で判断や評価を下さずに、理解を深めること、新たな意味づけを創り出したりすことが目的)
が引き出される、というふうにだ。

現状、「最近面白かった本は?」という雑談ベースの問いを出発点とした話題が、勝手に「人気のない本は本屋に置かないべきだろうか?」という討論ベースの話題にすり替わり、「著者〇〇の書いた本を置く本屋は倫理的に正しいか?」というようなまた別の話題にすり替わったりしながら、各々が改変し創出した問いについてワイワイ元気にヤジを飛ばしている、というのがだいたいのTwitter上の議論の形に見える。

そういったコミュニケーションに身を置く人を、もう一歩「考えたい」と動機づけることは、簡単なことではない。しかし「考えたい」と思っているが、この不健全なコミュニケーションの土台に歯痒さを感じている人たちが、健全に対話を交わす場はあると良いよなと思う。

あ、その一つの答えがQuoraなのかな。

今日の猫