「電話したので、早く着いた。」
前の部分と後ろの部分とに関連がついていないこの文は、意味を捉えるのが難しい。
しかし、「救急車」と示唆されれば、「119に電話して救急車に乗れたので、病院に早く着いた」のかと想像がつきそうだ。前後の部分間に関連がついて、「わかる」という感覚が得られる。
①文章や文において、その部分間に関連がつかないと、「わからない」という状態を生じます。
西林克彦『わかったつもり~読解力がつかない本当の原因~ (光文社新書)』
②部分間に関連がつくと、「わかった」という状態を生じます。
③部分間の関連が、以前より、より緊密なものになると、「よりわかった」「よりよく読めた」という状態になります。
④部分間の関連をつけるために、必ずしも文中に記述のないことがらに関する知識を、また読み手が作り上げた想定・仮定を、私たちは持ち出してきて使っています。
一方、この「部分間に関連がつかないこと」を、内田樹さんは「意味の亀裂」と呼び、これこそが実は「私たちを暴力的なほど奔放な空想と思索へと誘う『物語発生装置』」だと言っている。
この「意味の亀裂」こそ、実は、私たちの知性と想像力を激しくかきたて、私たちを暴力的なほど奔放な空想と思索へと誘う「物語発生装置」なのです。私たちが意味の亀裂を弥縫するためにその裂け目に架ける「橋」のことを、私たちは通常「解釈」と呼んでいます。
内田樹『物語るという欲望』
LOSTやパーソンオブインタレスト(好き)、スター・ウォーズ/フォースの覚醒、スカイウォーカーの夜明けの制作を担当したJJエイブラムスが「謎」というキーワードを取り上げ、20分弱話をしているTEDトークがこちらにある。
彼は、時として謎が知識より価値を生むこと、
謎が無限の可能性と潜在性の感覚を生むこと、
謎が見るものを引き込むこと、
映画『卒業』の中のデートの場面で、そこに彼らがいるのに話していることが一言も聞こえないから生まれる魅力やロマンチックさに触れた後、
「究極的には 謎の箱というのは 私たちみんな」
であることを語る。
人間の内面はブラックボックスで、自分のことでさえ中に何が詰まっているかわからないことがある。
拙い言葉や表情の変化、仕草や目線などで内面が小出しにされることで、少しその人のことが分かり、
また次の謎が出てくる。
人間は謎そのものであり、だからこそ物語る欲望を刺激され(つまり、人について話したくなり)、人に魅力を感じるのかもしれないと思った。
逆に、作者という神の手によって、人物の内面まで脈略を以って語られてしまう物語に魅力を感じづらいのは、そういうことかもしれないとも感じる。