散歩するのが好きで、特に18時台の散歩は、いろんな家から晩御飯の匂いとシャンプーの匂いが交互にしてきて良い。夜は日常と非日常が入り混じる時間帯だと思うので、家の周りのよく知った場所でも夜に散歩すると1.5倍楽しい。あと夜の散歩は考えが整理される。
外を歩く散歩と同じくらい、ネット散歩をよくする。
何かを知りたくて検索をするんだけど、毎回長い寄り道をしている気がする。
普段どんなことしてるか思い出して書き出してみる
・「絶対ヒットしなそうだな」「的確な検索ワードじゃないだろうな」というキーワードで検索してみる
打ち間違いとか、誤字とかも含む。
あはは打ち間違えちゃった、っていうワードで一回あえて検索してみる。
的確で端的な検索ワードだと、屈強にSEO対策されたサイトで上位を独占されていることが多い。適当に検索すると、面白い辺境のサイトがヒットすることがある。
・とりあえず末尾に「filetype:PDF」とつけて検索する
filetypeはファイル形式を指定できる検索方法だが、こうやって検索するとPDF形式で一まとまりになっている文章が出てくる。本にするための原稿や、プリントして配る用の会報紙とか、論文みたいなものとかがヒットする。同じ分野の周辺のこともまとまって載っていること、それもしっかりまとまっていることが多いので、漠然とこのキーワードまわりのことについて知りたいんだよなあってときとか重宝する。
・好きなサイトでサイト内検索してみる
AXISとかJDNとか、ロケットニュースとかほぼ日とかwiredとか電通報とかジモコロとかQuoraとか登録してるメルマガとか。そのワードについての思ってもない視点からの記事とか、全然関係ないけど面白い記事に巡り会ったりする。
いいな!っていうサイトはいくらでもあって、でもその全てのサイトの最新記事を毎日全部追うことは難しいので、こういう巡回の仕方をする。
・この人はなんて言ってるだろう?とTwitterで検索してみる。
検索窓で「ワード from:その人のID」で検索すると、そのワードが入っているその人のツイートがヒットする。
今日したネット散歩について書く。
最初は、小説家の三秋縋さんが以前twitterで「いろんな話をしたあと、一番最後に答え合わせのように名前とか自己紹介するのが良いよね」というようなことを言っていたような気がして、そのツイートをもう一度見たいということから始まった。

「僕は花の名前を知らなすぎる!」と思いました。音楽に詳しくなることでラジオが楽しくなるように、スポーツに詳しくなることでオリンピックが楽しくなるように、歴史に詳しくなることで観光旅行が楽しくなるように、花や鳥や星の名を知ることで日常がより鮮やかになるなんてわかりきったことなのに。
三秋 縋
名前を認識するってことは、そのものの存在を大事なものだと認めることだと思った。
名前というキーワードに関心を持ったので、調べてみることにした。
まず自分のメールボックスで検索してみる。
漢字のデジタル化に関しては、様々な形を持つ漢字において抽象度の粒度をどの程度に設定してどのように包摂するのか、という設定がまず重要となってくる。字形の異なる漢字においては、「語として(つまり字種として)別のものを示している差異」「異体字としての差異」「デザイン的な差異」など様々な基準を考えることが出来、一方でそこに誰もが納得するよう画一的に線を入れて分断させるのも到底出来そうにない。殊にこれが人名用漢字となってくると、それがアイデンティティを表すために、わずかなデザイン差にこだわりを持つ人が存在することも充分に理解出来る。
戸籍情報システムを取り巻く環境変化と文字情報基盤の活用について 人文情報学月報第122号【後編】
自身の例で恐縮であるが、筆者の名字に使われている「片」の字形も、明治期の戸籍・昭和期の戸籍・現在の戸籍とそれぞれで若干形が異なっており、実際親族の中には「現在の戸籍にある漢字は自分の本当の名前ではない」と嘆いている者もいる。
想像するのに時間がかかった。
どんな形やフォントであろうが、「同じ漢字とする」という共通認識を持っていれば良いのではと思っていたが、試しにここにある「片」という漢字を検索してみるといろんな形が出てきて、たしかにこの微妙な形にアイデンティティを感じたりするんだろうなとも思えた。
自分のように言葉の仕事をしている人を含め、デザイナー、フォトグラファー、イラストレーターなど、あらゆる「ものをつくる仕事」をしている人たちにとって、制作物に記載されるクレジットは大事な意味をもつ。それは自分がその仕事をしたことの証であり、少し大げさに言えば存在証明のような役割を果たすものだ。また名前が出るのは責任が発生することでもあって、自分の名前で文章が世に出るからには納得できるものにしなければいけないと思う。
1冊の本がかたちになるまで Lobsterr Letter
名前を載せること、クレジットの在り方についての記事だ。
youtubeでメンバーになってくれた人の名前を手書きで書いてる事例があったり、どの関わりの人まで名前を入れるかとか、いろんな考える視点があるなと思った。
真夜中のはんだ付け 頼りない話
レコードプレーヤーを買った。スクラッチを練習するためだ。HeadacheSoundというご機嫌な名前の会社が作っている、OMNIなるスクラッチ用ポータブルレコードプレーヤーである。
HeadacheSound、良い名前だな。

次にWIREDで検索してみた。
たくさんヒットする。
目についた面白そうな記事を開いた。
あのレトロゲームで“対戦”できる! 相手の顔を見ながら遊べる無料プラットフォーム「Piepacker」の実力
友人や家族と同じ画面を見ながら遊んでいた懐かしのレトロゲーム。相手の顔に浮かぶ喜怒哀楽の表情を見ながら遊ぶという昔ながらの体験をオンラインで再現しようとしているのが、無料のゲームプラットフォーム「Piepacker」だ。
相手の顔を見ながらレトロゲームができる無料コンテンツとのこと、全然「名前」とは関係ないけど面白い。
表情、というキーワードを得た。
ほぼ日で表情と検索してみる。
上の記事がヒットして、その関連記事から
すてられないもの。[1]「すてられない紙たち」
このページに行ってみた。
紙を整理する引き出しには一か所、
仕事ではつかえなくなった
細かく切った紙の救済スペースを作っています。
千代紙を使ってたくさん仕事をしたあとは、
細長い紙がたくさんのこりますので、
これで豆本をつくったり、栞をつくったり。小さなかけらとなった紙を入れたその引き出しの中が
一番好きな場所かもしれません。
紙を入れておく棚、いいなあ。
「表情」から逸れた。
出発点の三秋さんのtwitterに戻ってきて「表情」と検索してみる。

他人の顔色ばかりうかがっている人がどんな人生を送るかと言いますと、表情の小さな変化に敏感なので、一見感情の起伏に乏しいあの子が見せた一瞬の貴重な微笑みを、他の人達が見逃す中、一人しっかりと目撃することができてしまいます。やったね。
三秋 縋
やったね。
今日の猫

