読んでいる最中に意味がわからなかったことや、意識をすり抜けていったことが、読み終わってしばらくしてふと全然関係ない瞬間に意味がわかったり、心を動かしてくることがよくある。そういう意味で読むという行為は本を閉じて終わるものではないのだと思う。
『不滅のあなたへ』という漫画作品を読んでいた。
主人公フシは、石のような無機物から人間まで、さまざまなものに姿を変えていく不死の存在である。
姿を変えられる能力を持つ存在のファンタジー物語と捉えながら読むことができるが、
読み終わって生活している中でふと、「その人や物がいなくなったとしても、心の中で生き続けるということ」が描かれているのかなと腑に落ちた瞬間、涙が出た。
この作品は読んでしばらくして急に意味がわかってくることが何度もあった。
小説にかぎらず、創作物はなんでもそうだと思いますが、「読む」(あるいは「見る」「聞く」)という行為を終え、作品が心のなかに入ってきてからがむしろ本番というか、するめのようにいつまでも噛んで楽しめる。一冊の本を読むという行いは、ある意味では、そのひとが死ぬまで終わることのない行いだとも言えると思うのです。
三浦しをん「『罪と罰』を読まない」より
では読むがいつ始まるか、についての実験が「『罪と罰』を読まない」ではされていた。
すごく楽しかった。
秘密の地図を持って4人で神秘の森を冒険している冒険物語を読んでいるようだった。
『罪と罰』をまだ一文字も読んでいないときから、我々四人は必死に「読んで」いました。いったいどんな物語なのか。期待に胸ふくらませ、夢中になって、「ああでもない、こうでもない」と語りあいました。それはなんと楽しい経験だったことでしょう。ページを開くまえから、『罪と罰』は我々に大きな喜びを与えてくれたのです。
三浦しをん「『罪と罰』を読まない」より
今日の猫

誰かが何かを食べているのを見ると安心する