「ケイシー」はどのような人物か、また「レキシントンの古い屋敷」はどのような屋敷か、まとめてみよう。
三省堂『精選 現代文B』
国語の教科書に載っていた、村上春樹『レキシントンの幽霊』を読んだ。
その「学習の手引き」の中の一つ目に、上のような問いがあった。
僕だったらの話だが、「『ケイシー』はどんな人物かまとめてみよう」と言われるより「『ケイシー』と今度会う予定ができました。どんな話題を持っていってどんな話をしますか?」と問われた方が、直に作品に触れていく感覚がある。
例えば犬の話をしたいなと思う。彼の飼い犬のマイルズはどんな性格で、どんな食べ物が好きなんだろう。
柴犬を知っているだろうか。焼けたパンのような色をして耳が三角形をしている。
レコードはどこで何を見て買っているのだろう。今も生きていたら、spotifyとかは使ってるんだろうか。
彼のユーモアの源泉を知りたいなと思う。どんな本や映画がお気に入りなのか尋ねてみたい。
この作品の主題を捉えたり、一つ一つの表現が暗示する物事を把握するのは、一筋縄ではいかないように思える。だから、「学習の手引き」4つ目の問いで「『僕』は『レキシントンの幽霊』の体験をどのように受け止めたのだろうか、次の点に留意して話し合ってみよう」と突然言われて戸惑ってしまった。
雲を掴むような段階から頑張って前へ進み、捻り出すことにも価値があると思いつつ、もう少し、作品に親しむ気持ちが自然に湧いてくるような問いが細切れに存在していたら、「鑑賞する」という行為がもうちょっと身近になるのかなと思う。
今日の猫
