他者や社会を意識して、「正しく」あるために言葉や思考を制限する。
そうやって誰かを傷つける可能性が減る分、自分のことを忘れていくのだろう。
みっともないことであり、最低なことであり、だからこそ誰にも言えないと、存在を否定される感情にこそその人がいるように思えた。
最果タヒ『きみの言い訳は最高の芸術』
みっともない悪意や、最低な自意識を含めて、自分の内側を否定せず一度受け止めてくれる(本文の言葉を借りれば「その人がその人だけの悪意の存在を認める瞬間が作られる」)のが文学や詩であり、
そういう悪意や自意識が、物語の中で反響して跳ね返ってきたものを見つめて、改めてその悪意や自意識をどう扱えばよいのか考えることができるのかなと思う。
今日ワクチンの2回目を打った。副反応はまだなんともないけど、
同じく最近2回目を打った友人のその後の容体を聞けば聞くほど、
今スプラッシュマウンテンの頂上にカタカタ上がってる気分。
今日の猫
