この曲を初めて聴いたとき、歌詞がないのに涙が溢れてきて不思議だった。
具体的な記憶が呼び起こされてセンチメンタルになった訳でもなく、曲を作った上原ひろみさんのバックグラウンドを知っていた訳でもない。
音に呼応して心が動いたような感じで、自分でもなぜ音の組み合わせが心に来るのかわからず、不思議に感じていた。
こちらの曲も。
「なぜ音の並びが心を動かすか」
最近、この「なぜ音の並びが心を動かすか」という疑問について、言語学の視点から腑に落ちる一つの仮説に至ったので、言葉にしていきたいと思う。
共感覚表現
まず前提知識として、「共感覚表現」について触れておく必要がある。
言語学において共感覚表現と呼ばれる現象は、「ある感覚に関係する語が別の感覚に関係する語を修飾する表現」のことを言う。(参考:言語学、はじめの一歩 (26))
例を挙げると、「明るい声」などが該当する。
「明るい」は視覚表現で、「声」は聴覚表現であるため、
視覚表現が聴覚表現を修飾していることになる。
「渋い声」は「味覚→聴覚」、「暖かい色」は「触覚→視覚」、「柔らかい音」は「触覚→聴覚」への転用です。
言語学、はじめの一歩 (26)
共感覚表現の一方向性仮説
そしてこの感覚の転用の方向はおよそ「触覚→味覚→嗅覚→視覚→聴覚」のようになることが知られており、これを共感覚表現の一方向性仮説という。言語学者ウルマンの説である。
要するに、最も多く共感覚表現を呼び出すのは聴覚で、逆に最も頻繁に呼び出されるのは触覚だということになる。
『共感覚の世界観』原田武
イーフートゥアンは『感覚の世界』で、触覚が「世界の探索」に役立つ「最もだまされにくい」感覚である所以について詳しく述べている。「そのためわれわれはこれを最も信頼する傾向がある」
逆に最も多く共感覚表現に訴えるのは聴覚だということになる。
「なぜ音の並びが心を動かすか」(再)
音を聴いて、「やわらかさ」「あたたかさ」など私たちが最も信頼する傾向のある触覚が呼び起こされる。
そして色彩や視覚映像が呼び起こされる。
このように、一番多くの感覚を呼び起こすのが聴覚であると考えると、
音が感情を揺さぶることに納得がいった。
しかし、では具体的になぜこの曲を構成する「ハーモニー、リズム、メロディー」が感情を揺さぶったのかということについてはまだわからない。
音楽に造詣の深い人や、そうでない人でも、なぜ音の並びが心を動かすかについて思うところのある方、一緒に話したいです。
今週の猫
