月別: 2020年5月

景色を脇役に、光に着目しながらする散歩

光を観察しよう。何色だろう? 主光源は何だろう? 他に光源はないか? 電球や太陽からの直接光か、それとも空や窓からの拡散光か? 影はあるか? それはくっきりした影だろうか? 霧やちり、霞など、光に影響を与える大気中の要因はないだろうか? その光を受けて美しいと感じるだろうか? もし美しいと感じるなら、それはなぜだろう?

『画づくりのための光の授業』リチャード・ヨット著

即物的なハウツー本かと思い手にとってみたら、思っていた以上に文学的であり、理論的でもあり、景色や映画の見方が広がる素敵な本だった。

最近動画編集にDaVinci Resolveを用いるようになり、カラーグレーディング等について改めて勉強したくなったので楽しく読んでいる。3DCGのレンダリングをするのもさらに楽しくなった。

日常的な状況では、ほとんどの光源は色を帯びているが、人間の脳はそれをうまく修正し、実際に見ている絶対的な色ではなく、納得しやすい相対的な色として知覚している。

手元のmac book proも、シルバーに思えてよく見れば暖色のデスクライトに照らされて彩度の低いオレンジ色をしている。さらによく見れば、そのデスクライトの光が弱まって届いている部分は蛍光灯の光によって青白色をしている。日陰も黒ではなく、濃い青みを帯びている。それは天空光が反射するからであり、日陰にも光があるのは、大気が光を散乱するからである。では大気のない月面では、日陰に立てば真っ暗闇のはずである。


景色を脇役に、光に着目しながらする散歩をしたくなった。


あまり関係ないが、以前からテクスチャ採集の散歩なるものをしている。
よく見れば、テクスチャ浮き出具合もライティングの方向に随分左右されていることに気付かされた。

これは猫のテクスチャ。

「写真」という訳語は、やはり明治以降ですかね。戦前に「光画」っていういい方がありましたけど、あのほうがいいとおもうんですけどね。

『写真<イメージの冒険7>』(河出書房新社/1978)谷川俊太郎さんの言葉。

「身体として共存している」という感覚を呼び起こすためのコミュニケーション

だれかがしゃべり、別のひとがそのことばを聴き、そしてことばを返すというふうに、「一度に一人だけがしゃべる」リニアなプロセスというのは、わたしたちにとっては自明のもののようにみえても、人間の会話にとってかならずしも絶対的なものではない。

『「聴く」ことの力 ー臨床哲学試論』 鷲田清一 著

アフリカ南部のカラハリの狩猟採集民族であるグウィ族では、会話はしばしばことばのやりとりにならないという。グウィ族の調査を長年行っている人類学者の菅原和孝さんは、「むしろ相手の発話に同時にじぶんの発話を重ねるというようなコミュニケーションの形態というのがあるのではないか」と問いかける。

「歌」のように進行する会話。
「意味」や「物語」を交換するのではなく、「身体として共存している」という感覚を呼び起こすためのコミュニケーション。

そういったコミュニケーションを設計したとして、歌や音楽との境目をどこに置くか。

スカイプ等の音声電話をつなげたまま作業をする、サギョイプなるものがある。
最近ソフトが高性能になり、発話をしていないタイミングを自動的に検出し、ノイズをカットしほぼ無音に加工してくれる。
個人的には、息遣いやスピーカーの向こうから聞こえるちょっとした環境音が聞こえることがサギョイプのミソであったように思えるため、ありがたくも少し残念に思ったりする。

気配を感じたいのだ。
そこで現在、
・発話やこちらの音がアンビエント音に変換され相手に届けられる「サギョイプ環境」
・さらにその「サギョイプ」によって生成される、世界に一つだけの、参加者で作り上げた「アンビエント音楽」を保存して音源にできるサービス(?)を企画している。

関係あるようにもないようにも思えるが、純粋音声詩というものがあるらしい。

今日の猫(といってあげている写真は以前撮った「今日あげる」猫の写真である。最近はほぼ家から外に出ていない)

口笛言語/皮膚感覚を伴ったTwitter

“言語とは、陸軍と海軍を持つ方言のことである” 

ユダヤ人言語学者Max Weinreichのこの発言は、自分たちが話す言葉がはたして「方言」であるか、それとも独立した「言語」であるかについての認識には、その言葉を使う共同体が独立国家を持つか否かといった政治的・軍事的要因に左右される面があることを示している。

Ethnologue第18版(2015)(キリスト教系の少数言語の研究団体国際SILの公開しているウェブサイトおよび出版物)によれば、世界には7102の言語があるという。
しかし、同一言語の中の方言を区別する明確な基準が無いことによれば、「世界にいくつの言語が存在するか」という質問への明確な答えも存在せず、言語は驚くほど多様であるといえる。

口笛言語のシルボ語というものがある。叫び声の10倍遠くに届き、谷の向こうの人に何気ないツイートをしたり、ご飯に誘ったりすることができるという。普通の会話はもちろん、政治についてなど複雑な会話もできる。皮膚感覚を伴ったTwitterのようだ。
音声言語においては、声や訛り、喋り方の癖などから個人を特定することは難しくないが、このシルボ語ではどうなのだろう。

今日の猫